作家の神渡良平先生が素晴らしい文章でご紹介くださいました。ー
「沈黙の響き「(その85)
阪神淡路大震災に寄せられたアイカさんの手記
27年前の平成7年(1995)1月17日早朝、阪神淡路大震災が起きました。
その地震に直撃されたオペラ歌手でサウンド・セラピストのアイカ橋本恵子さんは、
「あの地震が私の人生を変えました」
と言い、フェイスブックに次のような手記を投稿しました。
「私は4か月になった娘を見せるために、宝塚に住む母の実家に帰っていました。そして1月17日の早朝、異常な轟音にゆさぶり起こされました。それまで経験したこともない大きな地震です。私はそばで寝息を立てていた娘を抱き締めた次の瞬間、大黒柱が折れ、建物が崩れました。気がつくともうもうと立ち上がるほこりの中で、母が私たちに覆いかぶさってわが身を盾にして守ってくれていました。
その直前まで生活を彩っていた愛すべきものが、ことごとくなぎ倒され破壊されました。人間が毎日の営みの中でコツコツと築き上げてきたものを、自然は一瞬で奪うことができるのです。
大地が引き裂かれる音は、私の脳裏と骨の髄まで深く、深く、刻み込まれました。それは神の嘆きであり、大自然の怒りであり、傲慢な人間ヘの警告のように思われ、死の刻印を押されたような恐怖でした。その音は消えることなく、深い心の傷となって、わが子が死ぬかもしれないという悪夢にさいなまされる日々が続きました。
≪心理療法と宇宙への畏敬の念≫
私の心に印されたトラウマ(心的外傷)について、元京都大学教授で心理療法家の河合隼雄先生が次のように述べておられます。
『子どもの心の心理療法は、あくまで子どもの宇宙への畏敬の念を基礎として行われる。畏敬すべきこれほどの存在に対して、その魂の殺害にどれほど加担しているか、そのことを知っていただきたいのである。
家族内において、なんらかの理由でおざなりにされた弔(とむら)いや喪の仕事を、その家の子どもが一身に背負っていて、そのために原因不明の症状が出ているとしか思えないケースがある。大人が大切な人の死に向き合えないでいるとき、子どもがそれを促すために病気になる、ということがあるのかもしれない』
娘の病が発覚し、『10歳まで生きられない』と短命を宣告され、今にも命の灯が消えそうな幼いわが子を抱え、私は祈り、歌い続けました。癒されない魂の傷を負い、狂気の寸前になりながら、出口の見つからない闇のなかで、子守唄を歌っていました。
震災から5年の月日が流れ、2000年春のある日の明け方『あいか』というステージネームが『愛の言の葉、歌に乗せ、天まで響け』という和歌とともに私のもとに舞い降りました」
そう書き終えてアイカさんはつい最近リリースしたばかりの追悼歌「千羽鶴」を添えておられました。
この手記で私の心を引いたのは、河合先生が言及された、
「子どもの心の心理療法は、あくまで子どもの宇宙への畏敬の念を基礎として行われる」
という一文でした。
「宇宙への畏敬の念……」
引用された河合先生の一文は短いので詳しくはわかりませんが、心理療法は私たちが意識するとしないにかかわらず、私たちの“宇宙意識”とかかわりながら進められるのだと述べておられるように思います。
≪アッシジのフランチェスコの足跡を訪ねた旅≫
宇宙意識――
これについて思い起こすことがあります。
平成24年(2010)5月、私は24名の方々とイタリアを旅行しました。ローマやアッシジやフィレンチェを巡った旅でしたが、私がみなさんを一番案内したかったのがアッシジでした。
アッシジとはイタリアの背骨アペニン山脈のなか、ローマの北東170キロにある人口2万8千人ほどの小さな町です。イエスの再来とも言われ、カトリックを再興するに至ったフランチェスコはその町で活動していました。
私はみなさんをフランチェスコゆかりのサン・ダミアーノ修道院やカッチェリの庵などに案内し、その生きざまを語りました。その翌日、ホテルの近くのカトリック教会の聖堂を借りて、アイカさんのミニコンサートを開きました。
というのは以前、アイカさんがフレッチェでコンサートを開いたとき、日本から駆けつけたファンの方々を、「私が一番好きな町を案内しましょう」とアッシジを訪ねました。小高い丘の上に中世の石畳の町アッシジが広がっており、その中央にコムーネ広場があります。
広場に面して石造りの古い聖母教会が建っています。アメリカ人やドイツ人など多くの観光客が大勢訪れていました。すると日本のファンの方々が、
「ここでぜひカッチーニの『アヴェ・マリア』を歌っていただけませんか」
とお願いされたのです。
「でも他の観光客もいらっしゃいます。みなさんの邪魔になるといけませんから、司祭さまが許可してくださるかどうか訊いてみましょう」
と、司祭に相談しました。すると快く受けてくださったので『アヴェ・マリア』を歌いました。するとやんやの喝采で、アンコールを要求されました。そこでまた歌うと、再びアンコールです。今度は司祭が身を乗り出してお願いをされました。
「実は今晩、修道士たちの集会があります。そこでこの『アヴェ・マリア』を披露していただけませんか」
その夜の修道士の集会でも大喝采されました。
≪聖母マリアが祈りを聴いてくださった!≫
私はそのことを聞いていたので、アイカさんにお願いしました。
「ミニコンサートを開きたい。ぜひ歌っていただけませんか」
そして聖堂で「アヴェ・マリア」や「アメイジング・グレース」などが歌われました。彼女の澄んだ声が聖堂に響きわたり、天空に昇っていきます。
それは聖母マリアに捧げる祈りそのものでした。
アイカさんの頬を涙が伝っていきます。聴いている私たちも泣きました。
涙、涙、涙のコンサートとなり、私たちみんな心の深いところで癒されました。
私は知らなかったのですが、アイカさんはそのころ甲状腺を患っており、医師からは手術を勧められていたんだそうです。しかし、喉にメスを入れて声帯を傷つけたら、もう二度と歌うことはできません。彼女は迷いました。そして医師の申し出を断りました。
「私は歌を歌うために生まれてきました。だからもう歌えなくなるというのは考えられません。別な方法で治療します」
そして漢方だとか、食事療法やヒーリングで治療を続けました。アッシジの聖堂で歌ったときも、マリアに、イエスに、そして天の父に、
「どうぞ私に歌い続けさせてください」
と祈りながら歌ったのでした。
祈りと癒し――
私はあの聖堂でアイカさんは祈りながら歌って癒やされたのだと確信します。
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