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執筆者の写真Aika

足裏が光るまで

大腿骨骨折で入院した時、癌治療と同じく薬を使用せず、健康応援社ゆるり庵のえりちゃんと、おばあちゃん👵が毎日三を食雪に閉ざされた家から支度雪かき1時間行い、6:30、12:30、18:30と「東條百合子先生レシピ」のご飯を土鍋で運んでくださり、こんにゃく湿布とマッサージで血流を促しデトックス、本来半年の入院を奇跡的に1か月で退院できたお陰様を、巡り巡りお伝えできて新たなトライ足指、足のケアがスタートしました。

最後まで歩きボケない元気で明るい未来への一歩。


基本的な生活の見直しをさせてくださりご指導頂きました。

静かに瞑想の様に歩行訓練はグランディングとブレない自分軸

あわ琴骨振動三年目に次のステージに踏み出せた喜びと感謝。


一生未完成 ゆっくり丁寧に三昧に入る肉体と精神の統合を目指し

楽しみます。


尊敬する詩人の坂村真民さんの著書「念ずれば花ひらく」(柏樹社)より詩と文章を紹介する。


 詩集「尊いのは足の裏である」より”足の裏の美”


 

 尊いのは 頭でなく 手でなく 足の裏である    

一生人に知られず 一生きたない処と接し 

黙々として その務めを果たしてゆく 足の裏が教えるもの    

しんみんよ 足の裏的な仕事をし 足の裏的な人間になれ


 「尊いのは足の裏である」 という詩の一節であるが、足の裏の礼賛者になったのは、参禅をしてしみしじみと足の裏を見るようになってからである。あるときは独り山上に坐して、足の裏を太陽に向けて日の光を当ててやったり、あるときは月下に坐して、月の光を当ててやることもあった。


 本当の目は足の裏についており、本当の呼吸は足の裏でするということを知ったのも、打坐をするようになってからである。その頃の詩に、


 わたしに足の裏の美しさを 知らせて下さったのは 仏陀世尊であった わたしはその人の足に 額を当てて いのちの交流を乞うたというのがある。


 原始仏教は釈迦の足の裏を拝んだ。八十歳まで熱砂の土を踏みしめて、衆生(しゅじょう)を済度(さいど)された、あの尊い美しい光る足の裏に合掌した。


頭から 光が出る まだまだだめ    

額から 光が出る まだまだだめ    

足の裏から 光が出る 

そのような方こそ 本当に偉い人である




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