総合診療士養成講座の後で
ピアニストの津田君 可愛と三人でサウンドセラピーコンサートが
アイカサロンで行われました。
いつ聴いてもウットリする津田君のピアノ
可愛のフルートの音色も深くなり
家族の様な優しいあたたかい皆様と息がピッタリとあい
一つの空間が響きあいました。
皆様の持ち寄りランチ会 ディナーも美味しく
家庭料理を美味しくいただけるのは最高の幸せです!
来月11/22 アイカサロン最後の養成講座とコンサートご参加お待ちしています。
以下可愛の感想です。
2020.10.18
自分が感動する音を奏でよう。
サン・サーンスの白鳥を吹き終わったあとに漠然とそう思った。
1曲目のアメージング・グレイスの圧倒的な迫力の歌を聞いた後の緊張感、
この歌の後に私は何かを表現できるのかと不安になってしまった。
今回のコンサートの曲目で私は図らずに2種類の死を取り扱った曲を選んでいた。
サン・サーンスの「白鳥」とジュール・マスネの「タイスの瞑想曲」だ。
1曲目はサン・サーンス作曲の動物の謝肉祭より「白鳥」
謝肉祭の中でもとりわけ美しいこの曲は多くの人に愛されている曲だが、白鳥の死を表現していることを知っている人は少ないと感じる。
謝肉祭とというタイトルに釣られているのか、生き生きとした美しさを表現しがちだ。
しかしこの曲を調べると、モチーフはバレエ作品の「瀕死の白鳥」が元になっている。
瀕死の白鳥というだけあって、この白鳥は死に向かっているのだ。
ピアノは湖の水面を現し、旋律が白鳥の死を表現している。
私は夜の湖で、白鳥が自身の重さによって沈んでいくときに生まれる水の波紋が月明かりによって小さな宝石の粒のようなキラキラとしたものが生まれていく。
息を飲むような美しい光景だ。
それをピアノとフルートの旋律が絡み合って白鳥の「死」を表現していると思った。
この白鳥の「死」は実在する風景、実在する「死」に近い。
白鳥という命あるものが天に召されていく風景だ。
2曲目のジュール・マスネの「タイスの瞑想曲」は「タイス」というオペラの器楽の間奏曲になる。
オペラ「タイス」はタイスという娼婦が僧侶に出会い神の愛を説く。
この曲は彼らの出会いのあと、彼女がこれまでの人生を振り返るシーンに演奏される。
この曲における「死」は瞑想曲とついているだけあって、神への愛を受け入れ、これまでの人生を振り返り悔い改め、神へ許しを乞うものになる。
宗教的観念もあるだろうが、ヨーロッパにでは自身に「死」を感じたときはまず神に祈りを捧げ許しを乞うのだろう。
死後、神の国へ無事迎え入れられるようにこれまでの人生の罪を懺悔する。
この曲はタイスが神の愛に目覚め、新しく生まれ変わるこを表現しているのだろう。
実際に「死」を迎えるのではなく、これまで生きてきたタイスは死に、神の愛に目覚め、許された新しいタイスとして生まれ変わるのだ。
この2種類の死を表現するのが今回の大きな課題だった。
では何故自分が感動する音を奏でようと思ったのか。
特に理由はないが漠然とそう思った。
スッとその言葉自分のなかに入ってきたといった方が近いかもしれない。
それはアメージング・グレースの全てを燃やし尽くしたような、出し切った音がきっかけかもしれない。
よく津田さんが話してくれていた、人を癒すために演奏したことはない。癒されるのは聞いている相手が決めることで、こちらから癒されてください!と演奏するのは痴がましいという話。
頭では分かっていたけど、今回それが初めて体に入ってきた。
いつもは表現にまで漕ぎ着けなかったレッスンが初めて表現を掘り下げ、音で対話ができるようになってきたとき、緊張した瞬間にその場の空気に飲み込まれて表現が埋れてしまったときに感じた悔しさに対して出た自分への最適解が自分が感動する音を奏でようだった。
その時々の曲によって感じる感情は違う。天に昇るような思わず踊り出したくなるような、体の奥からむずむずとしたものが湧き上がるかもしれない。
深い嘆きで涙も出ない、ただしんっとしたものかもしれない。
しかし、その瞬間の音を味わって、甘美な響きに身を浸す。にじみ出るような幸せを噛み締める。それだけでいいのかもしれないと感じた。
それこそが表現者の真髄なのかもしれないと感じたコンサートだった。
2020.10.22
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